東恩納 朋子さんは、父 亮才さん母 清子さんのもと、沖縄県那覇市で生まれ育ちました。
亮才さんは琉球漆器の職人として仕事をしていたそうで、その影響もあるのか、幼い頃から手仕事を身近に感じながら育ちました。沖縄ではハレの日には琉球漆器を使うそうです。
成長し、沖縄県立首里高校 染織デザイン科へ進学。染めや織りの基礎を学びました。
首里高校染織デザイン科課題作品
高校卒業後は「ており「首里織」工房 キューワ」で働きながら首里織に携わりました。東恩納さんが勤めていた頃、復元工事をしていた首里城がオープンしたこともあり、琉球ブームが起こります。たくさんの観光客が沖縄を訪れ、沖縄工芸の需要も高まっていました。
勤めていた工房にも首里織の作品制作依頼がたくさん寄せられていて、東恩納さんも数多くの制作に携わったそうです。
昼間は手織工房の仕事を、夜はカフェでアルバイトをして忙しく働いていました。
その後、東恩納さんは本土の企業で働く機会を得て、沖縄を離れて暮らしました。
1998年には家族の仕事の関係からイギリスへ渡ります。イギリス滞在中は、ロンドンの郊外のカレッジで語学や音楽を学んだそうです。ヨーロッパの成熟した文化にもたくさん触れる機会となりました。
異国での暮らしで日本の手工芸や沖縄の音楽などの芸術を振り返り、その文化の豊かさに改めて気づかされたそうです。
2002年、東恩納さんは亮才さんの介護の関係で沖縄に戻り、そのまま沖縄で暮らすことを選びました。そして、2008年35歳の時に首里織後継者育成制度に採用され、2年間のカリキュラムのもと、改めて首里織を学び直しました。
首里織後継者育成事業終了作品
首里織後継者育成制度終了後は首里織の職人として首里織組合に所属し、依頼される制作の仕事をしながら、ご自身がオーナーである飲食店(首里乙羽)も運営しています。
また、自ら企画した首里PR活動や音楽イベント運営なども行い、積極的にまちづくり活動にも関わっています。

東恩納さんが使用している機や道具は、友人のお母さんから一式譲ってもらったそうです。
「幸いなことに、本気でやりたいと思ったタイミングで必要なものが自然と集まってきました。」とのこと。
東恩納さんは、「素晴らしい技術を持った首里織の職人や首里織が、まだまだ世の中に十分には知られていない」と感じているそうです。
「首里織の魅力や地元・首里の素晴らしさを世界に向けて発信していくことも自分の役割だと思っています。」と、話してくださいました。
取材・撮影 遠藤ちえ (遠藤写真事務所)
Instagram ID :@chie3endo