Interview08/ 染織家 吉野綾さん 後編



【吉野綾さんプロフィール】

【吉野綾さんプロフィール】

 

1972年 神奈川県生まれ。現在同県二宮町在住

1996年 大塚テキスタイルデザイン専門学校II部ウィービング科にて織りを学ぶ

1999年〜2010年まで個展、イベント出展など、カラードウールを活かした毛織物を制作、展示を行う。

2011年〜2013年まで、

家族の都合でサンフランシスコベイエリアで暮らし、

その間、カード織りとダマスク織りに取り組む。

2014年〜現在、

ダマスク織りで毛織物と絹織物を制作し、展示を行う。

 

ウェブサイト 

https://ayatextile.jimdofree.com/



吉野さんが熱心に取り組まれている織り以外の活動、

茶道と弓道についてお聞かせいただけますか。

−吉野さん

アメリカ暮らしも終わりが見えてきた頃、偶然カフェで合気道の先生をしている方と知り合って、2ヶ月ほどその方の元で合気道を体験しました。

短い期間でしたが、武道はもともと興味があったので楽しく、帰国しても続けようと思っていました。

 

それが合気道の道場を探すはずが、犬の散歩中に偶然弓道場を見つけ、見た瞬間、中学生の頃に弓道に憧れていたことを思い出し、こっちだ、と確信。初心者受付を一年近く待って、2015年から通い始めました。思いがけず30年ぶりに願いを叶えることに。

弓道は心と身体のつながりや身体感覚の発見がおもしろく、飽きるどころか夢中になる一方です。集中して自分の世界に入り込むのは制作とも大いに繋がるところだと思います。

 

茶道も以前から興味があったのですが、良い先生をご紹介いただいて2019年からお稽古に通っています。

こちらのお茶室には隣接して陶芸工房などもあるので、黒楽茶碗を作る体験をしたり、

お手前で使う茶道具の一つである茶杓(ちゃしゃく)も制作する機会に恵まれました。他分野の工芸のことを学ぶと物づくりの視点の違いがまた新鮮です。

 

茶道も弓道も和服を着ますが、身体の使い方が洋服の時とはかなり異なって姿勢も変わります。それに伴った合理的な所作は無理がなく自然で美しいので目指すところです。


 

吉野さんのダマスク織りの機はスウェーデンからアメリカへ

そして日本の吉野さんのアトリエへと運ばれてきましたね。

ダマスク織りの歴史やダマスク織りの機の仕組みについて

教えていただけますか。

−吉野さん

ダマスク織りは地と文様の二つの組織が組み合わされた織物です。主に織り目が目立たず光沢感のでる繻子(しゅす)織りを使うことがほとんどです。

表と裏とでは色と組織が反転するのみで、裏面に糸飛びがないので、ショールやマフラーなどにもその特徴を活かすことができます。

 

ダマスク織り機はその文様を織り出すために部分的に経糸を引き上げるのですが、そのためにちょっと特殊な仕組みになっています。

この機では手元のペグを引いて文様を織り出しますが、この仕組みの大本となったのがおよそ2千年前に中国で誕生したといわれている空引き機で、子供や女性など軽い人が機の上部に乗り文様の綜絖を上げ下げしていました。

 

中国から各地へ伝播しアレンジされていったのですが、

ヨーロッパにまず伝わったのがイタリアで、シリアのダマスカスの職人さんから学んだことでダマスク織りと呼ばれるようになったようです。

日本へは奈良時代頃には伝わり緞子(どんす)と呼ばれています。

 

ー吉野さん

ダマスク織りとひとことで言っても、機の仕組みは三種類あります。

 

まず1つ目は、私が購入したフリードローシステムで、紋綜絖に通った経糸一本一本を引き上げることが出来き、好きなように文様を描けるものでした。

その代わり、リピートパターンが織れません。そして、一本一本図案と照らし合わせながらピックアップするのでとても時間がかかります。

それにマフラーなどグルグル巻く布には文様がわかりづらくなってしまうので、2つ目の方法、リピートパターンも織れるように仕組みを追加しました。

紋綜絖の枠ごと引き上げるようにするとリピートパターンが織れるのですが、紋綜絖の枠の数で図案が限られてしまいます。

なので3つ目の好きな図案をリピートできる方法も導入してみました。

 

織り機がコードだらけになりました…。

作業性もとても良いとは言えず、結局、今は最も頻繁に使うリピートパターンだけにしています。

仕組み作りに頭を悩ませ、木工作業をし、随分と遠回りしましたが、いろいろ試したことで自分にとっての必要なものもわかり、またダマスク織りを理解する一つとなりました。

ダマスク織りは、本とDVDから学びましたが織り機からもまた学ばせてもらったと思います。

 

2023年に、古いダマスク織り機の引き取り手を探している、と連絡がありました。90歳代で旅立たれた方の遺されたものです。

私のと同じエクサベックの機ですが、紋綜絖のコードの引き方が全く違います。エクサベック社の創意工夫されてきた道のりを感じるようでした。

織り機そのものへの関心と、パーツが足りなくてもなんとか出来る自信と、ちょうど帯の制作とショールなどの制作と織り機を分けたいと考えていたこともあり、ちょっと大きすぎるサイズと装備でしたが引き取ることにしました。

 


 

 

様々な工夫を重ねてダマスク織りの作品作りを

されていらっしゃるのですね。

 

ここで、吉野さんが思う「織りの魅力」について

教えていただけますか。 

ー吉野さん

織りの魅力は、計り知れないところでしょうか。

何千年もの人の知恵と工夫があって、技術は古今東西行き渡り、ダマスク織りに限らず何を見ても面白く勉強になります。布を通して、異国の人にも時空を越えた人にも近しく向き合えるのです。

織りは経糸と緯糸が垂直に交わるという極めてシンプルはことなのに、ただ十文字に交わる糸の集合体が曲線や花を現したりするのです。すごいことだと思いませんか?

 

絵を描いていた学生の頃、ニコラ・ド・スタールの展覧会で出会った言葉を今でもふと思い出します。

「絵画空間とは一つの壁だ。だがその中には世界中の鳥という鳥が自由自在に飛んでいる。奥の奥まで。」

当時はこの言葉を目にした時に、バッと開けて明るい思いになった、と同時にその果てしなさに恐怖も感じました。日頃の制作で感じていた、拠り所がどこにもない空間に一人ぽつんと放り出されたような恐怖が重なりました。

 

その後、染織を選択し、工芸には用途という目的があり、織りには経糸と緯糸という絶対の掟があり、それは心強い拠り所だと思いました。

でもそのうち、やっぱり細い糸の中にも、古今東西の鳥という鳥が舞っていることに気づくんですけどね。技法を選択し、素材を選択し、方向の選択を繰り返して、でも行く先々に鳥はいて、なんだかずっと追いかけているような気分です。

 

 

アトリエで吉野さんの制作過程の一部を

拝見させていただきました。

その仕組みを知るほどにダマスク織りの制作過程は複雑だと感じましたが、吉野さんが軽やかにペグを引き、

織っておられる姿がとても印象的でした。

 

最後に、吉野さんご自身はダマスク織りの制作をどの様に感じでおられますか。 

ー吉野さん

 文字通り手探りで始めたダマスク織りはまだやっと十年が過ぎたところ。まだまだ考えあぐねることもあるし、逆に心配していたよりずっと楽にことが運ぶこともあります。

 

その長い作業工程を思うともっと出来ることを安全に制作したいという気持ちももちろんあるのですが、手がかかっても自分が見たいものを形にしていけたらと思っています。失敗を恐れずいろんな経験をしてをそれを糧にして、まだまだ奥深そうなダマスクの野をかき分け織り進んでいきたいと思います。